第二編の投稿にあるように、通訳という神経の張りつめた仕事や、出張ばかりの生活に疲れはてていた私に、確か2007年頃だったと記憶していますが、決定的な決断を迫った出来事が起こりました。
私は2004年後半から、通訳の仕事で、お得意様クライアントの同行通訳で、毎月、米国のノースカロライナ州から日本へ出張をしていました。最低でも一週間の日本滞在の仕事、月によっては2週間の仕事をこなし、週末には、その当時80歳を過ぎた一人暮らしの母と週末を過ごすために静岡に行くという事もしていました。あと、何年こうして母と時間を過ごす事ができるのか分らないという事もあって、その当時、この仕事は私にとっては有難い仕事とも思えたのです。でも、頻繁な飛行機による出張、時差が戻らないうちにまた新しい時差という過酷な出張のスケジュール、どちらかというと魚や野菜好みの私に、肉を主体とした豪華なレストランでの食事など、心身共に結構キツイ状態が続いていました。でも、プロとしては、そんなのは当たり前の事としてあまり気にしていませんでした。
そんなある日の午後、私はオフィスで明日から始まる日本出張への準備で、洋服などをスーツケースに入れていました。息子が帰宅したようで、私のオフィスに珍しく顔をだしました。スーツケースを見て、「また、出張するの?」と訊いてきました。「そうよ。明日から行くの。分かっているでしょう?」と私は答えました。「どうしても行かなければならないの?」と言う息子。息子はそれまでそのような事を言った事が無かったので、私は「何でそんな事をきくの?」と不思議に思いながら訊き返しました。そうしたら、「ママは、どうしていつもいないの?友達のお母さんは、仕事をしている人でも、いつも夜は家に帰ってきているよ。なのに、ママはどうして他のお母さんと同じように、いつも家にいる事ができないの?」と息子が訊きます。私はちょっとびっくりして、「分かっているでしょう?お客様に行くと約束したら、絶対に約束を守らなければならないのよ。知ってるよね?」と言ったら、息子は口をふさぎ、黙り込みました。

その時、私は初めて、息子が寂しい思いをしていたんだという事に気づいたのです。でも、お客様には約束をしていたので、その日本行の出張には予定どおりでかけました。でも、息子との会話の後に、彼の言った事がどうしても心に引っかかり、「もし、今、このような出張ばかりの生活を止めなければ、おそらく息子との関係が確立できず、一生後悔するかもしれない」と思ったのです。
出張先で、私が行かないと日本には行かないと言っていたクライアント会社の会長に、息子に言われた事を伝え、「今回は息子の言う事を聞いてあげないと、後になって後悔すると思うし、日本には沢山の有能な通訳者がいるので、彼らを派遣するから、このプロジェクトから通訳者としては降ろして欲しい。」とお願いしました。私の家族にも会った事のある会長さんだったので、「それなら、仕方がないな。。。」と私の申し出を受け止めてくれたのです。
その後の私は、日本、台湾、中国、韓国、そしてアメリカ等で、現地の通訳者を派遣するエージェントの仕事をする事になるのですが、時間がかかるわりには、収入はいまいちという事に気づき、また、NC州は南部であるにも関わらず、冬は結構寒く、夏は蚊が多く、寒さに弱い私と夫は、もっとストレスの少ない生活で、健康保険料が家賃と同じ位高い米国に住む必要性もないという事に合意し、じゃー、南国の楽園に行こうか?という考えを持つようになったのです。

もう一つの出来事としては、その当時24歳になっていた娘が、コスタリカのサーフィングに最適の海岸町サンタ・テレサ(Santa Teresa)の海の見える丘の上に、信じられないような家を建てていたのです。「ママ、今家を建てているから見に来てー。」と言われたので、2007年に家族全員で見に行き、びっくりです。その当時、この海岸町には、ダイアル・アップのインターネットがあり、また、携帯電話も普及し始めた頃でした。懐かしいダイアル・アップ。でも、その当時、まだ、通訳や翻訳をしていた私にとっては、「あーあ、これならこの国でも仕事ができるかもしれない。」と思ったのです。

第四編に続きます。