第三編の投稿で触れましたが、通訳の仕事で出張を止めるという決心はしたものの、では、その後どうするかについては、夫も私も米国の生活に終止符を打つという方向に向いていました。なぜかというと、これまでのような秒単位の仕事からくる慢性の緊張と疲労感、スーツケースに頼るホテル住まいの生活、外食ばかりの食事、常に体内に宿っている時差ボケ、収入は良くてもそれに比例して増加する出費の多い生活、家族とゆっくりと過ごす時間のない仕事中心の生活、そしてNC州の冬の寒さや夏の蚊の多さに嫌気がさしていた事もあり、じゃ、どこへ行こうか?夫と話しをし、いくつかの候補地が上がってきました。
米国内としては、もっと暖かいと思えたフロリダ州やアリゾナ州、海外ではメキシコ、パナマ、コロンビア、ベリース等もそのリストの中に入っていました。でも、米国にいれば生活費用はNC州とたいして変わらないだろうし、それじゃ、引っ越す意味はない。海外なら、息子がまだ8年生だったので、教育がある程度しっかりしている国でないとだめ。国政が安定しており、外国人でも安全に暮らせる国はどこか?それに、軍隊の無い国がいいという夫の意見。それと、コスタリカでその当時、インターネットや携帯が普及し始めていたのです。また、その当時、娘がコスタリカの海岸町に旅行者用の家を建てていたというような諸条件が加わり、最終的にコスタリカを選択したのです。
決断したのが2007年の半ば。じゃ、どの地域がいいか、実際にコスタリカへ行って調べてみようという事で、皆で2007年の夏休みにコスタリカ旅行をし、最初は、ビーチタウンを主に回ったのです。娘の家のあったサンタ・テレサ海岸、エルモサ海岸、カリジョ海岸、サマラ海岸、ココ海岸、プレンタレーナス海岸と太平洋側の海岸町を調べました。単に旅行者として休暇で遊びに行くのであれば、海岸町でもいいのだろうが、何せ中学2年生という思春期に入った14歳の息子の教育の事を考えると、海岸町ではどんなに頑張ってもまともな学校教育は無理という事に気づいたのです。

そこで、急遽予定変更をして、今度は内陸を調べる事にし、アレナル火山周辺で温泉で有名な La Fortuna市, そこから1.5時間位内陸へ入った所にあるCiudad Quesada市、そこから更に30分位内陸へ入った所の小さな町Aguas Zarcasという温泉のある町などを調査したものの、やはり、教育面、医療面、スペイン語がまったくできない私達家族がまともに生活をするには、これらの地方都市では、仕事もできないだろうし、教育面でも不十分、日常生活でも不便ばかりだろうという事に気づきました。

そこで、コスタリカの中心地首都サンホセ周辺の中央山岳地帯の町を選ぼうという事になりました。調査旅行でまず最初に行ったのがGrecia【グレシア】という町で、その当時、中央アメリカ諸国の町のなかでは一番綺麗と謳われていた町でした。首都サンホセ市から車で約1時間程度、町としてはある程度の人口があり、地方都市としては、病院、銀行、店舗、クリニック、歯医者、レストラン、店舗、学校、私立学校など、必要なものはほとんど揃っているような町でした。おーお、懐かしい、そこにはインターネットカフェーもありました。

さっそく、インターネットカフェーに入り、メールのチェック。そこには、私達と同じく他の外国人がメールの確認をしていました。こういう場所って、何となく安心するのですよね。全く知らない人達なのに、外国人というだけで同胞感が沸いてきて、すぐ友達的な話ができるようになるのです。その時、隣に座っていたアメリカ人女性ナタリーと知り合い、彼女がグレシア市に住んでいるというので、その町について色々と教えてもらったのです。私立の中学校、貸家、安全性など。なるほどという感じだったので、貸家について詳細を聞いていくうちに、彼女たちが借りている家の大家マリア女史を紹介してもらう事になり、その場で電話をしてくれ、その後、すぐにマリアさんに会いに行く事になりました。
人の出会いって本当にわからないものですよね。私はいつもこういう感じで、行き当たりバッタリで良い人に出会う事が多いのです。本当に信じられない位ラッキーだといつも感じています。このマリア女史は、両家のご婦人という感じの人で、昔は学校の先生だったとの事。年齢は60歳後半の人で本当にいい人。彼女がもっている郊外地の大きな地所に貸家が2軒あり、その内の大きい家が空いているという事だったので、すぐ連れて行ってもらいました。この貸家は土地が13000平米位の広さで、そこには、3寝室、リビング、ダイニング、キッチン、2バスルームとプレイ・ルームがついた大きな母屋と、少し離れた場所にある小さい貸家、そしてその地所を管理する管理者用の小さな家がありました。敷地には見事な大木が並び、遠くには山が見え、広々とした見晴らし、それにもましてよかったのは、管理人家族が敷地管理から門の開封などすべてやってくれるということでした。

で、さっそく、翌年2008年の1月からその家を借りるという契約をしたのです。

あのインターネットカフェーでナタリアに会っていなければ、Greciaのマリア女史やこの家に住む事もなかったと思うと、人の出会いの不思議さと私の知らない所で決められている宇宙の摂理に感謝と畏怖の念を感じずにはいられません。
第五編に続きます。