今日は2006年2月7日に書いた私のその当時の日記を紹介します。これを読んでもらえれば、なぜ私がコスタリカへ行くことになったのか、その時の心の動きや、その当時の暮らしの現状にどのように対応していったがわかると思います。今から、19年位前の話です。
「最近読んだ本に、明日香出版社からでている「テレビに自分の会社がでる!」という無添加パンで有名な廣瀬光雄氏の本があります。その本の題を見た時には、へえー、今後コスタリカ国でリゾート・ビジネスを始めた際に日本のテレビに取り上げてもらえればキットいいだろうなー位の気持ちでした。しかし、この本を読んでいくうちに、私はそれとは関係ない内容、つまり、彼の生き方にとても共感を覚えたのです。彼は子供の頃、頭は馬鹿で、不器用な子供だったそうです。あまりの馬鹿さ加減に学校から養護学校に入れろと薦められたけれども、母親が一筆書いて普通のクラスに入れてもらってという経過があるそうです。そんな孫息子に彼の祖父はいつもこう言ったそうです。「光雄、おまえはバカなんだから、みんなが右に行く時は左に行け。皆と同じように右に行けばどうせビリだろう。でも、一人で左に行けば、とりあえずそっちでは一位になれるから。」
現代の教育では、特に私がこれまで受けてきたアメリカの心理学からすると、その祖父の言葉はとんでもない言葉で、子供を駄目にする言葉とみなされます。でも、この本を読んでいた私は、心を突き刺される思いでした。自分の子供に対して、特に算数で落第点を取ってきた時に、何としてでも他の子と同じ位の点数を取らせなければ学校に行けないではないか、と気が気ではありませんでした。彼の祖父のように、大きな視点から物事を見ることができない自分だったことに気づいたのです。確かに、皆が右に行く時に左に行けば、孤独だとは思うけれど、必ず自分だけの道は見つかるだろうし、時流に流されるのではなく、自分で何もかも見つけなければならないだろう。この祖父の言葉を考えた時、コスタリカへ行ってリゾートを一からやるのもいいのではないだろうか?日本人はまだ、誰もコスタリカでリゾートをやっていないようだし、これなら、自分の道を開けるかもしれないと思った。私は、これまで20年以上やってきた、通訳・翻訳者としての自分とその業界に疲れきっていました。これまでは自分の手で何かを作りたいという思いをずっーと抑えながら、興味のない分野の言葉や知識を身につける生活がとてもシンドク感じ始めてから、もうどれ位たつだろう。。。収入は良くても、自分の心がウキウキしない仕事に心底疲れ切った生活に気づいてから、どれ位の年月が経っていたのだろうか?それは、長すぎて数えるのも嫌になる位だった。 <次の第二編に続きます>